2020.11.25

― 新会員スピーチ ―
「私の行き方、考え方」
山岡 景一郎 君

  

私は昭和5(1930)年に上京で生まれ1943年に同志社中学に入学し、田畑学長のご子息・田畑耕二氏、千玄室大宗匠のご実弟の千巳津彦氏、JR東海初代社長の須田寛氏の方々と親しくさせて戴いた。母が同志社を中退し、松下幸之助さん経営の「松下技術社員養成所」へ行けと言い、3年間で中学5年分を習得し、10円の手当も貰った。40歳代の幸之助先生から、「行き方考え方」を叩き込まれた。都島の家は焼夷弾で焼失し、京都に戻り、国家地方警察の書記から事務官になり、奨学金で二部立命館大学経済学部を卒業。勤務中に脊髄カリエスと十二指腸潰瘍も併発したが、「西式健康法」をオムロンの立石一真氏から教わり、完全断食など2年間で全治。警察を9年間で辞し、婦人服卸商やゴルフ道具を生産・販売したが成功せず、宅地建物取引主任の資格を取り、不動産業により生活が安定した。昭和39(1964)年に京都YMCAホテル専門学校で教師になり、京都府から経営指導員に任命され、16種類の飲食業・宿泊業・理美容・浴場業等の経営を指導する財団法人・京都府環境衛生営業指導センターの専務理事に就任。現在は代表理事を務めている。数十年前から近畿郵政局から各種相談を受けていたが、昭和64(1989)年に京都南禅寺にある約15000坪もある保養所「洛翆」の経営を郵政省解体までしていた。また、昭和25(1950)年創業の「月刊京都」を昭和54(1979)年から前経営者から引き継ぎ、経営を立て直し現在まで、社長・編集長を引き受けている。また、平安女学院は創立145年を誇る学院だが、平成14(2002)年に経営破綻し累積債務は400億円を超え、毎年7億円の赤字の連続が、現在は、教職員が良く働き就職率も良く、黒字経営を続けている。私のモットーは『成功の秘訣は、成功するまでやり遂げること』。①に強運、②に勉強家、③に自分の意見をしっかり述べる④は愛嬌の持ち主。これも政経塾生の採用基準である。私は、すべて松下幸之助翁の経営哲学を見習い感謝しながら、すべての組織で経営を行っている。

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