2019.4.24

「京都の伝統文化『大文字送り火』 」
NPO法人 大文字保存会 理事
長谷川 綉二 氏

大文字送り火の起源には諸説がある。私が子どもの頃には、如意ヶ嶽の「大」の字は弘法大師の筆画をもじって送り火にしたと聞かされたが、それも一説ということのようだ。

如意ヶ嶽の麓にはかつて、延暦寺の塔頭、浄土寺があった。それが応仁の乱で焼失し、その跡に足利義政公が東山殿の造営を始めた。完成を待たずに亡くなった義政公を弔うため東山殿を寺に改めたのが、現在の慈照寺(通称:銀閣寺)だ。その管理は相国寺に移り現在に至っている。大文字送り火は、義政公の死を悼む、お寺の行事として営まれてきた側面もある。

明治になって、相国寺が所有していた銀閣寺周辺の住居地、田畑などが旧浄土寺村の人々に払い下げられることになった。如意ヶ嶽も払い下げになるというので、村人たちは慌てた。村の代表者が京都府知事に「義政公が祀られている山はもらえない。相国寺さんに返してほしい」と訴えたが、5分で却下されたという。

村としては銀閣寺に大変お世話になってきたから、山も送り火も継承しようと決めて、寺領に住んでいた48軒全員の名前で山の登記をした。

ところがその後、戦争で男たちが出征。太平洋戦争が終わった時、男が残ったのは48軒のうち18軒だけだった。みなで相談して、それまでの長子継承を改めた。各家の血縁まで広げて担い手を集め、山と送り火を守ってきた。

毎年、送り火に向けて樹齢約80年の松を12本ほど伐り出し、割って薪にする。松葉も乾燥させ燃料にする。割り木は銀閣寺の門前に並べ、護摩木として皆さんに奉納していただく。その護摩木で直径約30㎝、重さ約14㎏の薪の束を350束ほど作り、如意ヶ嶽へ持って上がる。今はリフトを使うが、昔は天秤棒で運んでいた。

山の上では斜面を上り下りして、75カ所の火床に薪を配分する。350束の薪を配り終えたら、会員が薪を組み上げ、夜8時の点火を待つ。8時ちょうどに真ん中の火床に松明で火を移すと、数分で4~5mの火が立ちのぼる。アカマツを使うので遠くからもよく見える朱色の火になる。

最近、このアカマツがなくなってきて困っている。そこで15年ほど前から京都の三山でアカマツの再生を進めている。いろいろと課題はあるが、この伝統文化の火を消さないように、五山が力を合わせていきたいと思っている。

京都ロータリークラブ
〒604-0924 京都市中京区河原町通御池上るヤサカ河原町ビル4F
Tel 075-231-8738 Fax 075-211-1172
office@kyotorotary.com

Copyright (c) 2007 Rotary Club of Kyoto. All Rights Reserved. Site Map