2018.5.9

「京のおもてなし」
一力亭 女将
杉浦 京子 氏

祇園町は現在の八坂神社の門前町として発展してきました。昔の園さんは「祇園感神院」というお寺と一緒にあったそうです。平安の頃から多くの人がお花見などに訪れる場所としても賑わいました。休憩所のお茶屋で「茶立て女」「茶汲み女」と呼ばれていた女性たちが、祇園町の芸妓さんの起こりといわれています。

私ども一力亭は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」七段目の舞台として皆様に名を知られるようになりましたが、そのお話の時代(1700年頃)には園さんの境内にある水茶屋でした。祇園町が花街として最も賑わったのは1800年頃の文化文政時代です。お茶屋が700軒もあり、芸舞妓さんが3000人ほどいたといわれます。

明治になって都が東京へうつると京都の町は寂れました。京都を盛りたてようと博覧会が開催され、その時の「附博覧(つけはくらん)」、つまりアトラクションとして芸妓さんの舞踊を披露したのが、現在の「都をどり」の始まりです。都をどり創設に三世・井上八千代さんが協力されたことから、以後、祇園町の舞は井上流一本となりました。その格調高い舞の伝統は、祇園町の芸妓さんたちにしっかりと受け継がれています。

「都をどり」を観に来られる外国のお客様が増えると、椅子に腰掛けてお点前をする、11代玄々斎精中御家元が考案された立礼で、お茶の接待をするようになりました。

花街は分業制です。舞妓さんを育てる置屋があり、料理屋、お茶屋があり、さらには着物屋さんや大工さんなど様々な業種の人たちに支えられています。日々、芸を磨く舞妓さん、芸妓さんがいて、その成長を楽しみに見守ってくださるお客様がいらっしゃる。そうして花街は成り立っています。花街というのは生きた伝統文化そのものではないかと思います。

東京五輪が決定したとき話題になった「おもてなし」という言葉の使い方について、お店などが声高にPRするのは、何か違う気がします。それは受け手が感じとるものだからです。

どうすれば相手が喜んでくださるか、気持ちよく過ごしていただけるか、そういったことに心を砕くことが大切だと思います。自分の仕事に誇りをもち一所懸命に努める。それがお客様の喜びにつながれば嬉しいなと思っています。

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