2018.4.25

「文化を護ることの行政駆け引き」
平等院 住職
神居 文彰 氏

2020年の東京オリンピック開催の後には、文化庁が京都に移転します。私は昨年から、文化財保護法の改正や文化庁の組織改編を審議する文化審議会の委員を務めてきました。そのこともありこの機会に、文化が京都にあり護っていくことの意味を再認識したいという思いを強くしています。

私が30年以上お護りしている平等院には、こんなわらべ歌があります。
「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ」

極楽とか浄土を疑問に思ったり、信じられなくなったりしたら、宇治の御寺(平等院)に来て拝んでごらんなさい、もう一度思い出し信じ直すことができますよ、と歌われているのです。

信じる心は、荘厳(しょうごん)より起こる、つまりその場や空間の設え等々から起こってくるといわれます。平等院の建物や仏像も、人々の信仰心、守りたい、伝えたいという意志や願いを込めて造られています。中でも鳳凰堂は大切な命の先の命が生きる極楽浄土の再現として人々に捉えられてきました。ここにある数多くの文化財を護って行かねばなりません。文化というのは、残す意志がなければ簡単に失われてしまうものです。

平等院では4年前に鳳凰堂の大規模修理が終了しました。塗装、瓦、鍍金を施すという修理に約2年半を費やしました。準備を含めれば10年以上です。傷んだ瓦の取替えなど、新しくすることによって護れるものもあります。一方で、修理の技術など変えずに伝えて行くべきものもたくさんあると感じています。

仏教には「常見(じょうけん)」と「断見(だんけん)」という言葉があります。常見は、常にある、見える、意識できる、心に感じる、いつまでもそのままだと思うという意味で、断見は逆に途絶えて無くなってしまうことです。そのどちらでもないというのが仏教の教えです。私たちは変わって行くものでもないし、そのままでもない。今ある存在の可能性を大切にしなさい、と教えています。

このような教えをいただきながら、私たちは文化を護るために、心の表現として存在する目に見える物を護り、文化を護ろうとする心も伝えて行くことが大切だと考えています。

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