2017.3.29

「長屋王家荷札木簡と交通安全安心社会」
長屋王家木簡広報人
久保 功 氏

奈良市の平城宮跡に近い百貨店建設予定地を発掘調査してきた奈良国立文化財研究所は、1988年の夏に約3万5千点の木簡群を発掘しました。そしてその調査地が教科書にも載る「長屋王の変」(729年)の主、長屋王(天武天皇の孫)の邸宅跡だと判明しました。長屋王は唐招提寺の開祖鑑眞大和上渡日の因を成した事は、皆様ご存知の通り。

「長屋王家木簡」と称されたこの史料は、1300年前の奈良時代初頭の記録です。木簡というのは紙の貴重な古代、薄く削った木片に用件を墨書した古代文書で、役所の伝票、命令書、荷札等に利用され、当時役人は「刃筆の吏」と呼ばれていました。この年の春から秋までの半年間、奈良では古代に大陸から様々な文化が伝えられ、国造りに多大な役割を果した内外の先人達に敬意と鎮魂を目的に、「なら・シルクロード博」が開かれていました。その会場の一画から私は野菜の多くが世界各地からの渡来品であり、そのテーマを「ありがとう シルクロードからの贈りもの」とし、野菜文化史の一端と奈良漬を紹介していました。その最中に大根、蕪、茄子や古代野菜畑、糟漬瓜等の木簡記録に出会ったのです。また長屋王家では牛乳を飲み、真夏に氷を使っていた事も木簡から判りました。

その後木簡群には京北町や伏見、綾部、近江から米、阿波から黒米、桂川、吉野川、美濃から鮎が、隠岐、伊勢からあわび、若狭や山口県から魚や塩、丹後野田川からは鮭、鮒鮨は福岡宗像からそれぞれ歩いて運ばれていました。命がけの仕事でした。各地からの生活物資に付けられた荷札木簡が、1300年振りに現代社会に甦えったことには大きな意味を含んでいると思います。

荷札木簡は事故無く平城京に無事到着していた証しであり、古代交通安全の象徴であると私は考えています。国造りの一端を荷負った内外無名の古代びとへの「鎮魂と思いやり」が、現代の交通安全安心社会構築の一滴になって欲しいと木簡広報人は願っています。木簡広報人が「毎年耳カキ一ぱいの塩を1年がかりでびわ湖にばらまくに等しい広報をするゆえんでもあります。

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