2017.3.22

―追悼例会―
「故 大倉 敬一君を偲んで」
R.I元理事
会員
千 玄室 君

大倉敬一君は今年、卒寿を迎えるはずでした。私より三つ年下の彼が亡くなり、こうして追悼のことばを述べることになりました。

背の高い彼は大学時代、同志社バスケット部のレギュラー選手でした。私の弟・納屋嘉治は彼の一つ年上で、同志社のラグビー部員でした。部室が近く、顔をあわせることが多かったと大倉君がよく話してくれました。また、彼の父上(治一さん)と私の父が共に京都R.C.のメンバーだったこともあり、大倉家と千家は長い間、家族ぐるみのつきあいをしてきました。敬一君のご子息・治彦君と私の次男・伊住政和が小学校・中学校・高校の同窓生で、無二の親友だったことにもご縁を感じます。

大倉敬一君は、豪放磊落な人でした。胃潰瘍を患ったあと、ご自身はお酒を控えていましたが、日本酒に対しては、並々ならぬ思い入れの深さを感じました。「月桂冠を宣伝しないといけないから」と自ら、新幹線のビュッフェのカウンターで月桂冠を飲んでいた姿には頭が下がりました。六花街によく足を運んだのも仕事のため。これも遊びとは違って、大変なことだっただろうと思います。

昭和50年以降、ワインブームなどがありました。彼は、日本酒離れが進んだ時期に「世界の日本酒にしたい」という思いをもって、海外進出に力を注ぎました。私がアメリカで月桂冠を見かけて、帰国してから「頑張ってるなあ」と言うと「お茶といっしょです。お茶とお酒、ともに一所懸命やりましょうや」と言っていました。

彼は「日本酒を海外へ広める仕事や、酒造協会の役職もあって、思うようにロータリーに出られない」と言っていました。初めてロータリーの役職に就いたのは、1980-81年度の職業奉仕の理事でした。そして、月桂冠の業績が伸び、世界に向けてブランド発信する道筋ができてからは、ロータリーでもいろいろな役職に就き、2002-03年度には京都R.C.の会長を務めました。私が務めた公職の後任も、たくさん引き受けてくれました。父の代から続くロータリーでのご縁のおかげと感謝しています。

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」
大倉敬一君は今年の桜を見ることなく逝きました。心から哀悼の意を表したいと思います。

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