2017.2.8
「シルクロードの光と影」
京都大学 名誉教授
京都R.C.会員
本庄 巖 君
シルクロードは、唐の都・長安からユーラシア大陸を西へ、ローマに至る壮大な交易路。中国産の絹だけでなく、東西の文物が盛んに往き来した道だ。何度も出かけた私の旅は、戦乱の起こる前のシリア、ヨルダンまで。イスタンブール経由のローマへは行っていない。玄奘三蔵が経典を求めてインドへ向かったという道筋、仏教美術の宝庫である敦煌の莫高窟、漢詩で名高い陽関の関所、古い都市遺跡や寺院の佇まいに目を奪われた旅だった。
今、中国は、一帯一路計画として、陸のシルクロード、海のシルクロードをつくろうとしている。唐の時代に、この地域を支配した夢をもう一度、というのだろうか。旅の途中、あちこちでそういう気配を感じた。
僻地旅行について。「安全性」は、その当時はまったく問題がなかった。むしろ僻地に行くほど、住民は親切だった。「宗教」はおしなべてイスラム教。時刻になると、皆がイスラム寺院に入ってきて敬虔なお祈りをする。「食事」は、まったく美味しいものはない。パン代わりのナンは味もそっけもない。お肉類は羊オンリー。豚肉は一切、出てこない。酒類は原則禁止。旅行者はホテルの中ならば飲める。イランは完全にアルコール禁止で、私はコーラを飲んだ。幸い下痢は一度も経験しなかった。「トイレ」事情は良くない。砂漠の真ん中にバスが停まって、用を足すようなことも。むしろ、あっけらかんとしていて恥ずかしさはなかった。
シルクロードの「影の部分」に触れると、最も印象深いのは、新疆ウイグル自治区での中国の過酷な支配だった。ウイグル語の教育よりも漢語の教育が徹底していた。街の標識もすべて漢字。国に反抗するとすぐに捕らえられるという。この地域に固有の文化が消えていくのでは、と感じた。核実験がタクラマカン砂漠で盛んに行われているとも聞いた。
旅の終点として、死海のほとりに私は立った。死海のこちら側はリゾートだが、向こう岸、はるか向こうに見えるのはイスラエルだった。あそこはいまだに戦乱の地というか、パレスチナが徹底的にやられているというのを聞くと、こちら側にいる私たちは、こんなにのんびりしているのは申し訳ないという気持ちになった。
京都ロータリークラブ
〒604-0924 京都市中京区河原町通御池上るヤサカ河原町ビル4F
Tel 075-231-8738 Fax 075-211-1172
office@kyotorotary.com
|