2016.4.13
「白隠禅画をよむ」
花園大学 国際禅学研究所 顧問
芳澤 勝弘 氏
白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師は江戸時代に活躍した日本臨済禅「中興の祖」。500年に一人の名僧といわれる。現在の沼津市 原に生まれたことから「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称された。
白隠禅師には著作も多いが、ユニークな画(え)をたくさん遺した。画と文字で構成する東洋絵画独特の表現が用いられ、文字を読むことによって多角的なメッセージが浮かびあがる。
建仁寺の塔頭、建仁僧堂の蔵の奥から見つかった「雷神図」という、彼の禅画をみよう。画面の真ん中に、角のある鬼のような姿の雷様が太鼓を背にしてでんと座り、手に紙を持っている。その前に一人の男がかしこまって座っている。画面の上部には「かみなり風の三郎所へ 庄屋を頼み 状をやる所」の文字がある。この言葉から、雷様が手にしているのは手紙で、庄屋に頼んで、その手紙を風の三郎(風の神様)に届けるところだとわかる。
雷様の手にある手紙には、「一筆令啓上候/ひかれば、雲どもに、乍大義/迎ひ參候様に御申/風の三郎殿」と書かれている。「一筆啓上、私が光ったならば、ご苦労ではあるが、雲たちに迎えにくるように伝えてくれ。風の三郎様」という意味だ。
江戸時代、多くの人は農業を生業としていたから、適度に雨が降ることを願った。庄屋はお百姓さんたちを代表して、「恵みの雨を降らせてください」と雷様にお願いしに来たのだろう。雷様は「よし、わかった」と風の神様に協力を求める手紙を書いた。表向きはそういう画だが、そこに込められたメッセージは何か。昔は「百姓」を「はくせい」と読み、農民だけでなくいっさいの人々を意味した。言葉の成り立ちからみれば「百姓」とは仏教でいう「衆生」だ。庄屋は衆生の象徴であり、「慈雨のように、私どもを救ってくださる教えを垂れてください」と雷様にお願いしている、とよむことができる。
白隠禅師は物語を漫画的に表現するので、私は「白隠漫画」と呼んでいる。その手法によって宗教的な深いメッセージを伝えている。
京都国立博物館で「臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱(おんき)記念」の特別展、「禅-心をかたちに-」が開催されている(4/12~5/22)。ぜひ足を運んでいただきたい。
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