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アシュレイ・カイモウィツの手紙
The Ashley Kaimowitz Story

南アフリカ・ケープタウン、第9350 RID
パストガバナー ロドニー・マジンター

“誰がために鐘が鳴るか問うなかれ!それは汝のために鳴る”

これは人間が避けて通ることが出来ない宿命「死」についての有名なJohn Donneの詩の一節であるが、ロータリーの活動についても言えるのではなかろうか? 1、2の失敗例があったからと、“ロータリーの青少年交換プログラム”の是非を云々すべきではない。これは若者の未来に関わるものであり、また、いつになっても若者と向き合うことを避けて通ることは出来ない。これから紹介するAshley Kaimowitzは2001-03年の間ケープタウンのヘルツリア(Herzlia)高等学校に在籍、その間、インターアクト会員となり、2002年にはThe Young Person of the Year Awardを受賞、2004年には彼女の業績がロータリーの扉を開き、彼女は青少年交換学生(the Rotary Club of Hout Bayがスポンサー)に選抜され、日本・京都亀岡に滞在した。

これは彼女が京都滞在中に両親並びにそのスポンサークラブに書き送った手紙に基づく彼女自身の物語である。

彼女の言葉は、人間への愛があふれ、人間の醜さの中からさえも人間愛を磨きだし、何の落ち度もないのに不幸に遭遇した人々に希望の光を与えようとしている。彼女の言葉・物語に接したロータリアンがその素晴らしさを噛みしめ、彼女とともにこの地上で生をともにしたことを誇りとされることを願うものである。

子供たちへの愛 (Uthando Labatwana)
ノンセバ・カウンセリング・センターについて

アシュレイ・カイモウィツ

それは私が16歳、学校生活11年目の高校生のときであった。

私はヘルツリア小学校を経て、ヘルツリア高等学校に入学し2003年まで在籍した。2002年にはクラブ活動が非常に盛んであったインターアクトに所属しその幹事となった。この会の活動目的は世の中の様々な矛盾や不正と戦うものであった。2002年2月、私を含めたこの委員会の幹部は西ケープタウン中心部にあるカウンセリング・センターを、そのセンターのスポンサーHazel Blackさんの紹介で訪問することになった。

ノンセバ・ファミリー・カウンセリング・センターはNocawe Mankayiさんとそのグループによって1998年に設立されたものである。このセンターはエイズの後に現れた南アフリカ第二の大病疫<レイプ>に対応していた。カイエリシャでは三人に一人の少女が21歳までにレイプされると言われている。

センターは非営利団体で南アフリカ政府からの援助はない。建物は煉瓦の小部屋で、目につくものといえばその周辺にあるジャングルジムとゴミ缶。レイプの犠牲者や虐待を受けた幼児の法的なケアーや心理ケアーをボランティアが行っている。

彼らはレイプとそれがもたらす問題を社会に知らせようとしているのだ。

小さなセンター内の小部屋に入ると、そこに4歳の少女が座っていた。これまでに一度も見たこともないような悲しそうな、そして寂しそうな目をした少女であった。彼女はその前夜父親にレイプされ、家族がここに連れてきたのだ。私の父親は私のヒーローであり、保護者であり、世話係でもある。この少女のこれからの生涯・未来に思いをはせた時、何かをしなければという大きな情熱を感じた。彼女はじっと私を見つめていた。私は両手を広げて屈み込み、思い切り抱きしめた。どうすることも出来ない涙があふれ出た。このとき私は自分が何をすべきなのかを知った。こんなことは許されない。変えなければならないと。

帰りの車の中で「いま感じていることを世の中にどのように伝えるべきなのか?」色々とプランを考えた。少女に対するレイプという非情な現実と戦うためには、まず、人々のこころを開かせることではないか?

手始めに何通か手紙を出したが、返事はなし。電話をかけてもすぐに切られる。これから学んだことは、「世界をカエリシャに向かわせるのではなく、カエリシャを世界に向かわせなければならない」ということであった。

5歳の折、父に連れられてスピルバーグの映画「ET」を見た。この90分の映画をはっきりと覚えている。どういう訳かわからないが、映画とは何だろうという思いが、いつの間にか将来は映画を制作する仕事をしたいと思うようになっていた。そして、南アフリカの町で起きているレイプについてドギュメンタリーを作ろうと決心した。「その収入からいつか医学的にも法的にもトップクラスのセンターを設立したい」と。

なんと無鉄砲な16歳の映画製作者。映画制作に必要なお金の持ち合わせもないし、また、経験も全くない。ただ、あるのは不可能といわれるものを実現しようとする情熱と行動力と辛抱強さである。

米国在住の祖父母から、ニュージャージーのラットガース大学理事夫妻 Jerry & Lorraine Arestyさんを紹介された。彼らに私の夢を伝えるとスポンサーになろうという返事がきた。ある日4.000 USドルの小切手が送られてきた。これは南アフリカの10,000ランド相当。16歳の少女にとっては大金であった。しかし、その頃、BBCが南アフリカでのレイプ問題を特集した1時間もののドキュメンタリーを制作していた。その制作費は100,000ランド。しかし、私にもお金があり、夢を実現する道を突き進む決心をしていた。

制作を開始してからの最初4ヶ月の間、ただただ情熱のみで生きていた。眠ることも忘れて、ストーリーを考え、校長室から図書館へと走り廻り、どこかに腰を下ろすことさえなく、また、学校の勉強とバスケットボールの練習さえ切りつめていた。母が一番心配したのは私が学業を無事終えるかどうかより、私が病院に担ぎ込まれるのではないかということだったそうである。

私にはLexi Aronson, Shani Judes, Jae Braunという3人の仲間がいた。同じ考えを持ち、この仕事に協力してくれた。幾ばくかのお金があり、仲間はいるものの、撮影機もなく、カメラ操作も知らず、移動手段もなく、編集者もなく、録音室もないという状態であった。そこで、私はイエローページを開けた。

当然ながら情熱的な16歳の少女の話にのるプロなどは殆どいない。しかし、少ないながらも同情的な映画制作の担当者もいた。彼らはかって自分たちも16歳の頃、映画制作を夢見たのだと。

Magus Visual(ケープタウンCBDの映画制作機器の小さなレンタル会社)のオーナーは電話で私の話を熱心に聞いてくれ、次の日に話をすることになった。

オーナーである彼女は可能な限り協力しようと申し出、早速に、Drawbridge Production(編集社)とMilestone Studios(音楽Studio)を探してくれた。また、彼女のスタッフは簡単ながら同僚Lexiと私にカメラ操作を教えてくれた。何とわれわれが使用したカメラは有名なテレビ番組Fear Factorに使用されたカメラそのものであった。ここの人々はわれわれをトレーニングしたばかりでなく、信頼して100%プロの機器を使用させ、しかもその費用はフィルム代のみであった。

冬休みになり、私たちは護衛のCSO(ユダヤ系警護隊)とともにカエリシャを訪問し、2日間で約10時間分の撮影をした。

カエリシャへはNocawe Mankayiが同行し、地域の人々、警察官、レイプ被害者、病院関係者とのインタビューを担当した。皆に歓迎されながら、作業は順調に進み、時には、shebeens(一種の酒場)でコーヒーを飲んだり、ビリヤードに興じている酒臭い人たちと話しをしたりもした。

フィルム撮影が終わり、いよいよ事後の屋内作業である。画像の編集、音響や録音された声の編集、サウンドトラック等々。ついに2002年8月に24分のドキュメンタリーフィルム<ラバワナ----愛する子供たちのために>が完成した。

最初の上映は2002年9月、母校で200人あまりの観客を前にして行われた。フィルムの最後の“関係者へのお礼のメッセージ”が現れたとき、一斉のスタンディングオーベーションを前に私の目は涙に溢れていた。フィルムは直ちに競りに出、その夜の内に4,000ランドの寄付が寄せられた。

これを契機に、ケープタウンのラジオ番組567Cape Talk Radioに出演し、「南アフリカを助けよう」という組織に関わることになった。

彼らからはその支援として、活動用自動車の提供の申し出があった。また、プロテアホテル・グループからの20,000ランドとダイムラー・クライスラーからの20,000ランドを含めた、計50,000ランドがセンターに寄付された。
そして、私は、ウォーターフロント・ロータリークラブの2002年度ロータリー青年賞を受賞し、また、2002年度南アフリカ・ストーン・フィルム賞も受賞した。

教育、社会奉仕関係での受賞者の中で私が最年少の例となった。2002年のフィルムを基礎に改めて「南アフリカのフィルム」に編集したものを、2003年の南アフリカアポロ映画祭に出品し、第2位となり、1,000ランドの賞金を得た。

その後、私のフィルムは各地で上映され、クリスマスやイースターの時期には多くの寄付がセンターに寄せられた。

ある日、前ケープタウン市長のダイアナ・ベリルさんが主催する「国際婦人クラブ」で講演を行うこととなった。

間もなくして、フィルムを鑑賞したクラブの関係者から、新センターを2004年に建設するために2百万ランドの基金を設立しようとの申し出がなされた。もし実現すれば、宿泊施設、医療施設、医師室、法律相談室等々を完備したセンターとなり、私の夢の半分が達成されることになる。

2005年1月までではあるが、現在、私はロータリー青少年交換学生大使として京都に滞在している。私のフィルムは京都亀岡の亀岡シティホールでも上演された。

ここではAsia Wide Networkが協力し、日本語字幕を準備した。8月21日、およそ300人を対象にレイプ問題を主題としたこのフィルムの説明を行い、日本語での質疑を行った。日本の人々はこれまで余り多くの関心をもっていなかったようであるが、国際的に注目する必要を認識したと思う。日本での上映にAsia Wide Networkが協力したのもその現れであるが、2005年度の日本ドキュメンタリー映画祭に出品するかもしれない。これは私にとって最高のボーナスである。

これまで述べてきたことはある意味で私の表向きの記録である。私はそれ以上にこの体験を通して学んだものを生涯ずっと大切にしたい。それは、いくつになっても不可能はないということ、もし全力をつくすのならば、どんなに遠い星の光かも知れないがそれを掴むことができるということ、どんなに世の中が汚れていようとも本気で探そうとするならば、そこにはきっと素晴らしいものもあるということ、である。もし誰かが手を差しのばすならば、私は一人でも世界を変えることができると思う。私は子供たちの喜びも、悲しい顔で流す涙も知っている。

これまでのあれこれを思い起こすと、とても言葉で言い表すことができないような悲劇を目の当たりにしてきた。しかし、それと同時にその対極にある素晴らしいものも見出した。感謝の笑顔や涙がそれだ。クリスマスの贈り物に喜ぶ少女の仕草、援助や理解に感謝するその両親からの暖かい握手。

このような体験を通して私が学んだ最も重要なことは「自分自身を見出した」ことである。いま、この世の中で何をすべきなのかを私は知っている。そんなことは「聞き飽きた」、「古くさい」かもしれない。多分そうだ。“本当にできるのか?”絶対に可能である! 私はどのような形であれフィルムというものを縦横に使いたい。フィルムは今の世の中の問題点を最も雄弁に語りかけている。フィルムは勿論多くの人々を楽しませるだけでなく、同時に、なにものにも代え難い情熱を与えてくれるものでもある。フィルムからは喜び、希望、苦しみ、色々な情熱などを得るが、世の中を変えるのにより優れたものとなっている。私の夢はいつか不可能を可能にすることである。

以上が、私が体験した最も激しい、しかし、ささやかな冒険である。未来には多くの可能性があり、また、その道は終わりのないものだと私は思っている。いろいろ体験したこの数年間以上に成長し、より多くの経験をしながら将来を進みたい。「恐れない心、壁を作らない心がけ、ものを分かち合う夢をもつならば、世の中をきっと変えることができる」と私は信じている。

あとがき

2005年3月下旬、日もとっぷりと暮れた夕方、プログラムの相談後、Ashleyは友人と一緒に彼女が運転する車で帰路についていた。その途中酒酔い運転のトラックと衝突し即死。希望に溢れ、未来を嘱望されたAshley Kaimowitzはその短い生涯を閉じた。

「恐れない心、壁を作らない心がけ、ものを分かち合う夢をもつならば、
世の中をきっと変えることができる」
You can change the world, so long as you have a heart without fears,
a mind without walls, and a dream big enough to be shared
(Ashley Kaimowitz)

RID 9350ならびに所属ロータリークラブはAshley Kaimowitz記念基金を創設し、彼女の希望の実現に寄与したいと考えている。すでに、地区内外や海外からも趣旨に賛同した基金が寄せられている。趣旨にご質問・ご意見をお持ちの方は、基金プロジェクト責任者Don Peter(peters@wdsl.co.za ホートベイ・ロータリークラブ前会長)またはこの報告の執筆者Rodney Mazinter (mavrod@iafrica.com RID 9350パストガバナー)にご連絡をとられたい。

京都ロータリークラブは、これまでに、執筆者RID 9350のパストガバナーRodney Mazinter氏より本稿の日本語訳作成の了承、Ashley Kaimowitz記念基金プロジェクトの責任者Don Peter氏より京都ロータリークラブのHPと第9350地区HPのリンクの了承を受けた。
また、Ashley Kaimowitzさんのご両親Jeffrey & Megan Kaimowitz夫妻に彼女のご冥福をお祈りする旨をお伝えした。

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